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社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

慰安婦を考える視点①

2015年の年の末に、日本と韓国の間に慰安婦問題に関する合意したという報道が流れた。
日本の報道では、韓国側、特に慰安婦を支援している団体が合意に対して反発し、合意が流れるのではないかという懸念をしている。
この慰安婦問題は、韓国側の問題がある。日韓請求権問題、河野談話村山談話アジア女性基金、総理のお詫びの手紙をつけて、完全決着するかと思いきや、その後も日韓で大きな問題となっている。
一方、日本の慰安婦はいなかった、ただの売春婦であるなどの歴史修正主義の問題があり、一方的に韓国を批判することはできない。

こうした複雑な問題に対して、宮台真司は興味深いことを述べている。
マグヌス・ヒルシュフェルト「戦争と性」(明月堂書店)の解説の中で、『郡内で性的抑圧を受けた男たちが、欲望に負けて従来の道徳枠組みで律し切れない振る舞いに及ぶが、それは銃後にいる女性たちも同じだと書かれています。問題に対処するには、(1)女性の自由意思に基づく、(2)国による管理買春宿という形で、兵站として性を提供するのが有効です。』
(宮台解説p14 マグヌス・ヒルシュフェルト「戦争と性」より )

宮台真司は、性の問題において、[管理買春×自由意思]を重視している。
つまり、戦争中や平時の時でも、女性が経済的要因による自由意思は「本当の自由意思ではない(=やむを得ずにその行為を行っている)」が、それでも暴力的な強制や人身売買を防ぐためには国家による管理買春の重要性を指摘している。
性の自由決定を尊重するために、統治機構の力を使い、女性の人権を最大限守るという実践的な思想が必要である。
私は、宮台が主張する[管理買春×自由意思]によって、性を生業にする人々を守ることが重要である。
日本では、国家が関与したから〈問題ある〉/関与していないなら〈問題ない〉という語りを宮台真司は批判している。
日本のあの頃の統治は、女性の人権を守るためのことをを行っていたのかという政治責任の問題を考えるという視点を提供したい。

ただし、[管理買春×自由意思]の統治であっても、日本の戦争責任は免れない。
あの当時の戦争責任と、女性の人権を守るための政治責任は異なる。

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