社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

セックスにおける自己決定と政治的な役割について

 人間にとってのセックスは、生殖を行うことではない。お互いの愛を確かめ合うもの、快楽を求めるもの、金銭と取引を行うためのもの。ロマンティックラブイデオロギーが1950年以降、しばらくして、恋愛を通して関係を深め、結婚して子どもをつくり家族形成する時代はあった。一方、初体験の低年齢化が問題となり、望まない妊娠による中絶、性病の感染という問題が出てきた。だからこそ、性に関する教育を通して、性に関して、あらゆる人々が主体的にふるまうことができる力が必要である。「買春」の語りにおいても、宮台真司によると『昨今(筆者注:1990年代を指す)の日本を見る限り、売春婦の大半は「売る女=弱者」「買う男=強者」という通念におさまらず、逆に「買う男=弱者」という性格を強めている。』(宮台真司 自己決定原論~自由と尊厳 宮台編「〈性の自己決定〉原論」 援助交際・売春婦・子どもの性 p266)
 現代社会の中で、フェミニストたちが意図しない形で、男女の力関係が崩壊し、かつてのような買春語り無力化している。
 ただし宮台は青少年の買春3つの懸念を示している。1つは、交渉力の問題、青少年が買春契約を結んでも、その関係は対等に立つ関係を築くことは難しく、不利な契約を結ばれたり、契約違反行為を忍従したりすることがあること。2つは、性的感受性の問題、病気や妊娠に対して、大人を頼らず自力で解決することが難しいこと。3つは、自分にとって性の何たるかを学習する前に買春を乗り出すことで、過剰な方向性に持ちこまれる可能性があること、という問題点を指摘している。
 この点、性教育、あるいは社会の中で性の問題をオープン化して語られることを私は望んでいる。そのために性の自己決定の確立と政治システムによる最低限の保護が必要である。宮台はこのように述べている。
 
 近代人権思想では「自己決定能力が低いことを理由に自己決定に制約を加えることができない」が、他方、複雑な社会は「自己決定のリスクを乗り越えるに足る最低限の尊厳(自己信頼)を保護することを政治システムに要求する」ようになる。
  青少年相手の売春が規制されるべき理由は、複雑な社会では、高度な表出リスクを乗り越えて「自由な自己決定」に乗り出すに足る「尊厳」を、政治システムが一定範囲で保護することが社会的に期待されているから、ということになる。
  政治システムによる保護は、現実場面では、青少年の自己決定範囲の制約という形で、近代人権思想が最大の価値を置く「自己決定権」に、事実上制約を加えるこざる得ない。したがってそれがいかなる意味で「尊厳保護」であるのかをその都度再検討し、見直す必要がある。(同上 p269~270)

 宮台真司の指摘は重要である。近代社会は自己決定が原則となっており、その責任を自分で取らなければいけない。ただし、自己責任を個人に押しつけて、社会から疎外させてはいけない。むしろ、社会は、自分を含む、自己責任を取ることができる政治システムによって、実現しなければならない。新自由主義によって自己責任=悪というイメージが付いているが、それは個人と社会を隔離するためあるいは個人が政治システムに要求することを否定するためのロジックである。自己決定のための実現するためには、政治システムにより、その尊厳と責任を保障されなければならない。
 私は、セックスにおいても、自己決定の原則を尊重しつつ、政治システムによる尊厳と責任の保障への要求を、その都度再検討しつつ、求めなければならない。

参考文献
宮台編「〈性の自己決定〉原論」 援助交際・売春婦・子どもの性 1998年 紀伊国屋書店
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