社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

出産前診断をめぐる問題

 茨城県の県総合教育会議の席上で、橋本昌知事と長谷川美恵子の対話が問題になっている。「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」、「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」。その後の取材では、長谷川は「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」と話した。橋本知事も取材に対して「事実を知って産むかどうか判断する機会を得られるのは悪いことではない。」とはなしている。(朝日新聞デジタル2015年 11月19日 (木))

出産前診断と優生学思想
 出産前診断とは、妊娠中に胎児の病態を調べる検査である。この検査によって、胎児が障害を持って生まれてくる可能性を調べることができる。人工妊娠中絶は、女性の権利として認められている(リプロダクティヴ・ライツ/ヘルス=性と生殖に関する女性の権利)。
しかし、生殖技術が発展するにつれて、女性の一個人の問題ではなくなる。出産前診断は、診査によって女性の権利と別に「障害の有無」という判断で人工妊娠中絶を行わなくなる。こうした「障害の有無」によって排除する、もっと言えば健常者ではない人間を排除する思想を「優生学思想」という。かつてはナチスのような国家権力を使い障害者たちを排除していたが、出産前診断は国家の権力ではく個人の権利、自発的な意思に基づき、命の選別が行われている。長谷川、橋本の両氏は、女性個人あるいは家族が自発的な意志に基づき行動を期待している点で厄介な問題を抱えている。

「本人の不幸」と「家族の負担」を超えていくために
 玉井の表現を借りて、こうした発言の裏には、「障害を持って生まれてきたら本人は不幸になる」と「障害が生まれると家族が苦労する。」といったような「本人と家族の幸福のため」といった発想がある。(玉井真理子『「障害」と出産前診断』(障害学への招待)p147)
「障害」を持っている人々への差別によってつらい思いをしているかもしれない、家族に対する経済の負担や社会の支援が少ないことによって大変な思いをしているかもしれない。だが障害者団体の社会的メッセージは「障害があるからと言って不幸なわけではない」、「そのことによってもたらされる家族の負担があるとしてもそれは社会的に解決されるべきものである。」であった。(玉井同上)
 本当に困っている人々に対して、社会の支援が必要である。当事者の権利を守るための政治システムの構築、偏見をなくしていくためのポリティカル・コレクトネス(偏見を正していく)を行い今回の発言を批判していくこと、目の前に困っている人がいるならば、手を差し出してあげることなど、個々人ができること、全ての人が生きていくための権利を構築することが求められている。

参考文献
黒崎剛 生命倫理の教科書 ミネルヴァ書房 2013年

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玉井真理子『「障害」と出産前診断』(石川 長瀬編 障害学への招待収録)明石書店1999年
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