社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

『ゲーテッド・コミュニティ』への評価―コミュニティの緊密とセキュリティの高まりの関係という視点から―

 エドワード・J・ブレークリー、メーリー・ゲイル・スナイダーの『ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市』(竹井隆人)の中でゲートをつくる1つの理由として犯罪を抑止するためであった。しかし、『威信型コミュニティの場合は、ゲートは訪問販売員やその他の法律に違反しない人たちの立ち入りを阻止する一方で、本物の犯罪者の防止にはほとんど効力をもたない。』(ゲーテッド・コミュニティ p115)警察関係者は、壁やフェンスが街路から見通しを妨げ、通行人やパトロール・カーが犯罪に気付かない恐れがあること、
ゲートが閉じているのは夜間だけであること、ゲートがあることで住民が玄関ドアに鍵を掛けず出かけることなどによって、コミュニティ内の犯罪に対して抑止になっていない。
 その中で、保安圏型コミュニティは、ゲートは犯罪の抑止につながっていないが、他のゲーテッド・コミュニティデベロッパー主導と違い、住民がゲートを設置して近隣住区から隔離しようとしている点で、筆者らは、『多くの保安圏型近隣住区に住む人は真のコミュニティをよく知っていいて、それを維持するか、あるいは取り戻そうとしている。コミュニティはこうした事例においては一般商品以上の存在で、それは共有する地域や共有する運命の意識である。コミュニティの住民は自らを追い立てて、大都市の中心から遠くへ遠くへと逃れようとは思わないが、自分たちの近隣住区と生活の質を維持しようとして闘っている。』と評価しているが、ゲートという手段について疑問を呈している。(ゲーテッド・コミュニティ p143)
 筆者らのゲートに代わる防犯を提言しているが、本論文ではその提言を犯罪学の見解かについて疑問なことがある。その前に、保安圏型コミュニティ内でゲートを設置しようとした動きとその顛末から、コミュニティ意識がどのよう形で出現しているのかについて述べていく。

カルフォルニア州ハリウッド、ホイットレー・ハイツの結末

 ホイットレー・ハイツの周辺の治安の悪化(買春や麻薬取引、1980年に起きた老人の殺人事件)を理由に、地元住民たちの中でゲートを設置する必要性が出てきた。しかし、治安を守るためにゲートを設置するのでなく、1986年に交通規制を目的に市議会はゲートを設置する計画を許可した。ホイットレー・ハイツの市民組合の理事会であったボブ・マクドゥオルは、「ゲートの設置は犯罪の増加によってではなく、我々が自分のコミュニティを管理できなくなったという感覚によって推進された」(ゲーテッド・コミュニティ p125)と述べている。しかし、新しいゲートの反対側にあるアパートの住民から反対が出され、ゲートを設置に対して訴訟を起こした。また、消防局がゲート設置計画を認可していないことが発覚して、作業は中断した。緊急車両の出入りのために、ゲートの再設計するために全体費用が大幅に増加した。この訴訟とゲートを設置にかかる費用の増加によって、コミュニティ内部で衝突が起こり、コミュニティ・オークションやレイバー・デー街頭フェスティバルが開催されなくなった結果、コミュニティ内の意識が衰退した。
 このケースの場合は、ゲートは住民から設置したいという意識から作られたが、最終的ゲートを設置することへのコストが重なり、その結果コミュニティ内の意識が弱体化した。
 ゲートが仮に設置したとしても、犯罪に対する抑止に対する効果は期待できない。
筆者らの提言は、環境設計による防犯(CPTED)を提言し、緊密に結びつくコミュニティはセキュリティを高めることができることを主張している。

CPTEDとコミュニティ内の緊密
 環境設計による防犯(CPTED:Crime Prevention through Environmental Design)は、主に近隣住区における社会的組織が、犯罪を防止する物理的環境「守りやすい住空間」を設計する考え方である。CPTEDは主に3つの命題に基づき構成されている。1つめは、自分たちが認知できる小さな集団向きによる区域、「領域」である。2つめは、窓の配列、照明、造園等の要素を通して、住空間を監視しやすくする「自然な監視」である。3つめは、街の景観の清掃に維持するなど、「視覚的特徴な犯罪を抑止」していく考え方である。
 筆者らは、デベロッパー主導のゲーテッド・コミュニティは相互責任の感覚は見出すことができなかったと述べ(ゲーテッド・コミュニティ p192)、CPTEDは社会的紐帯や隣人組織に依存していりためにそのことがセキュリティを高めることが可能であると考えている。
 コミュニタリアニズムは、個々の生活と地域との結びつけるものとして、また民主主義にとって不可欠なものとして、コミュニティを重視している。菊池理夫は、コミュニタリアンの立場として、「社会的連帯感」が強かった時は「治安」がよく感じ、今でも「コミュニティの力」による「問題解決」を評価している。(菊池 2007 p159)
 CPTEDは政治思想のコミュニタリアニズムの人々にとって評価され、それはコミュニティ内の人々との連帯意識によって、防犯意識を高め、犯罪を抑止していくことを訴えている。
 しかし、こうしたCPTEDの活動は、犯罪の抑止につながっているのか。コミュニティ内の連帯意識は重要であるが、どの程度防、犯罪の抑止につながり、人々の治安意識への影響、そして意図せざる結果について疑問が残った。そこで、犯罪社会学者の浜井浩一芹沢一也の見解を使い、筆者らの提言について批評を行い、そこに足りない点について考える。

犯罪社会学から考えるコミュニティ内の防犯活動

 芹沢は、コミュニティの空洞化と治安の悪化との結びつきについて批判し、コミュニティの力による治安回復のための活動を批判している。たとえば、子どもを守るために住民による通学路のパトロール活動が登場し、その目的は子どもが被害者になるのではないかと「不安」という意識と参加する人びとが参加して一体感を得る「快楽」という意識があることを指摘している。(芹沢 p156~157 浜井、芹沢 2006)防犯活動は、サークル感覚で行い、子どもを守る活動は住民たちのコミュニティ意識の芽生え、同時に警察と住民が結びつき防犯活動を行うようになる。さらにコミュニティによる防犯活動は非意図的な結果として、「相互不信社会」が生まれることを芹沢は指摘している。具体的には、子どもに「知らない人に声をかけてはいけない」ということで人々を信頼できなくなること、不審者の定義、たとえば、朝日新聞の投書を紹介し、ある「自閉傾向にある」男性が町をジョギングしていた時に不審者として扱われたことを紹介し、こうした障害者やホームレスと、在日外国人である人々が地域社会の中で排除されてしまうことを批判している。

 またCPTEDの中に含まれているコミュニティの清掃、例えば割れた窓を放置しない、または落書きを見かければすぐに消す活動の根拠となる「割れ窓理論」について犯罪学から疑問が呈されている。「割れ窓理論」は、地域内の小さな問題(壊れた窓や落書きなど)を放置することで、そこから秩序が見られ、そこから犯罪の温床とつながるために、小さな問題を見かけたらすぐに解決することで、防犯につながるという考え方である。
 浜井は、『割れ窓を取り除く効果は、秩序の乱れの及ぶ領域や逸脱の範囲に一定の限界をもっていることであり、たばこのポイ捨てや落書き、小さな違反行為などをターゲットにした場合には、「割れ窓理論」は、その行為に限って効果がある可能性があるが、その効果は限界がある』と述べている。(浜井 2009 p69)つまり、落書きはその周辺に落書きをするだけであり、その落書きが殺人や窃盗などの犯罪を呼び寄せるわけではないのである。
 犯罪社会学では、CPTEDによる社会的紐帯や組織依存による犯罪の抑止について批判的であり、その活動は限定的に範囲にしか及ばず、さらにコミュニティ意識を高めること自体が目的化してしまうばかりか、コミュニティ内のある属性の人々が排除されてしまうことがある。『ゲーテッド・コミュニティ』の内容の中でも、住宅政策と人種による差別は結びついており、コミュニティによる防犯意識の高める結果として、特定の属性への排除へと結びつかないかということを懸念される。
 エドワード・J・ブレークリー、メーリー・ゲイル・スナイダーは、ゲートはコミュニティ内の社会的紐帯や組織依存を下げるために、コミュニティ内の環境や防犯活動を行うことで、コミュニティ意識が高まる結果として犯罪を抑止あるいは住民の犯罪への恐怖心が払拭できるのでないかと考えていた。しかし、犯罪社会学では、コミュニティ内の環境や防犯活動によって逸脱行為を抑止する効果は限定的であり、さらに、こうした活動がさらなる地域関係者内の相互不信を生み出し、別の排除を生み出してしまうのではないかと懸念がある。
ゲーテッド・コミュニティ』の内容には、人種差別と住宅規格とが結び付いていることからその差別を正していく活動、周辺の地域や都市が荒廃していることから生じる社会問題は地域間の格差を解消すべく、金銭的な再分配を行い、その問題の解決に取り組むことが本当に必要なことであり、筆者ら含めたコミュニタリアンの足りない点ではないか。

ゲーテッド・コミュニティ』への評価

 私は、『ゲーテッド・コミュニティ』を読み、ゲーテッド・コミュニティは富裕層向けのコミュニティでしかないというイメージを持っていたが、実際には、デベロッパーたちが主導して、住宅購入者層にひとつのステータスをあたえること、不動産価値の維持(実証されていない)、見知らぬ訪問者を締め出すことなどゲーテッド・コミュニティを作られたことを知った。エドワード・J・ブレークリー、メーリー・ゲイル・スナイダーは、ゲーテッド・コミュニティ内での住民同士の交流、その自治などコミュニティ意識が弱いことを問題にしている。その中で、コミュニティ内での防犯はコミュニティ意識を高める上で重要な活動であると見ているが、防犯活動はコミュニティ内の相互不信を生み出し、防犯効果は限定的であることが犯罪社会学から分かるように、地方格差の是正や差別の社会的意識の修正などが必要なことではないか。



参考文献
エドワード・J・ブレークリー、メーリー・ゲイル・スナイダー『ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市』(約 竹井隆人) 集文社 2004
www.amazon.co.jp

菊池理夫 日本を甦らせる政治思想 現代コミュニタリアニズム入門 
講談社現代新書 2007
www.amazon.co.jp


浜井浩一 芹沢一也 犯罪不安社会 誰もが「不審者」? 光文社新書 2006
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浜井浩一 2円で刑務所、5億円で執行猶予 光文社新書 2009
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