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社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

私が考えるマタハラ問題(エッセイ風)

 小酒部さやか『マタハラ問題』(ちくま新書)を読み、会社や上司や同僚が妊娠した女性に対して無理解かつ配慮のない働かせ方を行っている実態に驚きを隠せない。特に印象に残っていることは、妊娠した女性が無理な長時間労働と人間関係のストレスによって、流産してしまったことである。女性は不妊治療を行っている場合が多く、やっと妊娠した命が失われることに私は憤りを感じた。
 企業に雇われている人間は、組織のために一生懸命に働かなければならないが、個人的な事情を配慮してもらえない状況をほっといてもよいのか。
 女性の労働は、社会のためにも、そして個人のより良い生き方をする上で重要なことである。自らの生活するためのお金を稼ぎ、自分の投資に使い、自分の人生を豊かにしていくために必要なことである。
 学部時代のゼミ内の知識を使うならば、ヘーゲルの『法哲学』的に言うならば、働くことは利己的なものであると同時に利己的な行動を通して、利他的な結果をもたらす。自分のために働くと同時に、労働による成果は他者のために使われるのである。
 マタハラ問題は、妊娠した女性が利己的かつ利他的な労働から排除されることである。妊娠した女性は労働に排除されるだけでなく、将来のキャリア形成していく機会を奪われ、時にはお腹に宿した命を脅かしてしまう問題である。
 妊娠した女性の働く機会を奪われることは、決して他人ごとではない。親の介護、子どもの急な病気などで会社を早退、一時休職することもありえる。労働者という枠組みは「健康的な成人男性」だけが、企業の中で働き続けること、キャリア形成をし続けることができる社会であってはいけない。労働者という枠組みは常に揺るぎ続けて、その中に、女性、外国人、障害者、両親のケアを抱えた者など多様な人々が存在している。こうした多様な人々が働き続けられる社会とその支援と偏見を取り除くことが必要である。マタハラ問題を解決する動くことは、働く多様な人たちを支え、妊婦だから家にいるべきなどの偏見を取り除くことにつながる。

参考文献
小酒部さやか マタハラ問題 ちくま新書 2015年
www.amazon.co.jp

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