社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

アップル対FBI 取りえる公共性のふるまいについて

 2015年、カルフォルニア州で起きたテロ事件をめぐり、容疑者が使っているiPhoneのロック解除を連邦捜査局FBI)を求めていたが、アップル社はプライバシー侵害を理由にその要請を拒否している。
 FBIは容疑者が使っていたiPhoneを押収し、パスコードを解除するための端末内の情報が見られなかった。裁判所は、FBIの申し立てを受けて、アップル社に新しいソフトを作り、ロック解除を求めたが、アップル社はそれを拒んでいる。
 アップル社のティム・クック最高経営者は「悪用されれば、すべてのロックが解除される可能性がある」などと方針を表明した。
 司法省は「この端末の解除を求めており、すべてのiPhoneに適用されるわけではない」と主張している。
 資料
headlines.yahoo.co.jp

 アップルとFBIの対立は、個人情報の保護とテロとの戦いという側面がある。
 個人情報の保護は、どのような立場にある人間の情報を護るアップルの立場には一定の理がある。それは犯罪者であり、それが社会秩序に与える影響を与える事件性の場合でも、個人情報を公権力から守る立場は、人権の立場、顧客の立場を考えるとアップルのスタンスは公共性があるふるまいである。
 一方、テロという社会秩序に不安を与える問題について、その組織全体を把握することで次のテロを予期し防ぐこと、組織の壊滅することにつながれば、FBIのスタンスも公共性のふるまいである。
 個人情報の保護とテロとの戦いはどちらも公共性の問題であり、アップルやFBIのスタンスはどちらも間違っていない。どちらも間違っていないものの、気になる点を述べる。
 1つは、FBIはアップル社に新しいソフトを作ることを求め、ロック解除を求めていることである。果たして、iPhoneのロックの解除するために、わざわざ新しいソフトが必要なのか。今回の端末だけのロック情報を引き出すだけではダメだったのか、それができないのか。新しいソフトを作らせて、ロックを解除させることに裏があると勘繰りたくなる。
 もう1つは、公権力という立場が「この端末だけの解除を求めている」ということを信じてもよいのか。iPhoneのロック解除のソフトが作られることで、今回と同じ事件が起きた場合、そのソフトを使い、ロック端末の解除を行い、公権力が個人のプライバシー情報を収集しやすくなることを懸念する。
 また、公権力にiPhoneの情報端末の情報を開示を一回でも行うと、そのハードが下がる恐れがある。つまり、テロ以外にも、殺人事件、詐欺事件などに拡大していき、公権力が個人情報を収集しやすくなれば、個々のプライバシーを脅かすことにつながる。
 アップルとFBI、どちらも公共性のあるふるまいであり、どちらが間違っていると判断はできない。しかし、個人情報の保護とテロとの戦いという二項対立でなく、多面的な観察と予期の下で、どれが公共性があるふるまいかを市民社会は考えならない。

*補論 銃を使った事件の問題点
 ここで、銃を使った事件の問題点について少し考えたい。この事件では、銃撃戦によって、容疑者はすでに亡くなっている。
警察側の自分の身体を護るため、一刻でも容疑者の確保のために、銃を使い、その結果として容疑者は亡くなってしまうが、事件を収拾するために仕方がない措置ではある。しかし、銃を使っておらず、あるいは銃がそこまで広がっていない社会ならば、容疑者は生きていたかもしれない。容疑者が生きていれば、今回のiPhoneのロックが解除できたかもしれない、組織の実態が明らかになったかもしれない、そして裁判を通して容疑者に対して法的な裁きを与えることができた。
 取り調べや裁判で、事件の真相を明らかにすることは難しいが、それでも容疑者が生きて、その事件を語ることができるのは大きな違いである。アップル対FBIの対立の問題背景には、銃社会と事件が起きると当事者がなくなるという問題があるのかもしれない。

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