社会とサブカル コラムノート

社会哲学と生命倫理を軸に、社会批評とサブカルチャーコラムをただ思うがままに書きたいです。

政治がアニメを利用することについて―作られるイメージと偏見―

 昨日、セッション22を聞いていて、荻上チキさんが取材のためピンチヒッターに武田砂鉄さんのオープニングトークで、「日本の美」総合プロジェクト懇談会の話をしていて、そのホームページを見てみた。内容は、日本賛美が並ぶ文章、縄文の文化が現在のアニメーションと関わっているというトンデモが並ぶ。
 津川雅彦によると、日本の映画を世界市場を開拓するために、時代劇復興、日本政府が制作費を出すこと、「天孫降臨」をアニメ化など頭が痛いことを述べている。(「日本の美」総合プロジェクト懇談会 議事録 2015年10月13日 第一回 p4 同年12月18日 第二回 p6より)
 正直、大人が述べるに幼稚は発想である。私はアニメが大好きであるが、津川のようなアニメを政治利用し、さらにそのアニメを日本賛美するための道具に使うことに対して憤りを感じている。
 私は、現政権がクールジャパン、アニメを利用した文化政策、文化外交することに否定しないが、上記の利用の仕方に賛同できない。クールジャパンでもてはやされるアニメだが、現状企業広告のための道具に使われ、アニメーションという表現や作品批評などの部分がまったく利用されていないのである。
 私は、某家庭教師のCMのアルプスの少女ハイジのパロディは本作をリスペクトする気持ちがあるのか疑問であり、企業広告として利用されていることに嫌悪を示している。
 経済界では、アニメを企業のための広告、コマーシャルにために利用されるに対して、上記の政治側は日本賛美(しかもトンデモ)のために利用されている。こうした利用は何が問題なのか。


- 作られる日本のイメージと海外からの偏見
 私は、津川雅彦のように日本賛美のためにアニメーションを利用されることに2つの懸念を示したい。1つは、日本のイメージが作られることである。もう1つは、海外からの偏見が作られることである。
 日本のサブカルなどを通して、海外では日本=忍者、日本=すしなどといったイメージを持っている人がいることを聞いたことがある。あるいはジェンダー学では、男女役割分担(男は仕事、女性は家事)を描かれる表現について懸念を示している。
 その表現方法についての賛否はついては触れないが、実際のアニメはじめマンガであれ、ドラマであれ、映画であれ、表現するものはどうしてイメージ(印象)を作ってしまうのである。作られたイメージを相対化するためには多様な情報から、批判的に見る力(メディア・リテラシー)が必要であるが、どうしても限界があり、どうしても偏見が作られてしまう。世界の市場を開拓するために、日本政府が制作費を出費し、日本賛美したイメージを表現したアニメーションを制作することで、そのアニメを見た海外の人たちが、ねつ造された日本像を認識されることを懸念される。この懇談会に出席している人たちは、1000年前の日本人像を海外の人から称賛されることに何の快感を得るのか理解に苦しむ。むしろ、等身大の日本人像、多様な日本人像でなく、海外の人達から彼らたちのイデオロギーを含むアニメを見てもらうことで、日本人像の偏見が形成されることについて、私は懸念を示したい。そして、今後もこの懇談会の内容について批判していきたい。

「日本の美」総合プロジェクト懇談会HP
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/nihon_bi_sogoproject/

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