スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

自分の知識を使いコラムを通して、自分と社会を知っていくためのメモ帳です。

東京工業大学の女子枠に関する雑感

2022年11月10日、東京大工業大学2024は年4月入学の学士家庭入試から総合型・学校推薦選伐において女性を対象にした「女子枠」を導入するニュースが流れた。

www.titech.ac.jp

東京工業大学の女子枠導入する理由は、(1)ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)の取り組みの一環として、(2)学院で女子学生比率を増やしてOECD諸国の中で日本の高等教育機関における女子学生の割合が最低に位置する現状を変えるために、(3)理工系分野における女性研究者・技術者を増して活躍することが科学技術の発展に寄与するためである。

私の東京工業大学の女子枠への評価

私は、東京工業大学の女子枠はやってみればいいという立場である。
自分が底辺高校で偏差値も特別高くなく、推薦入試で大学に進学して、大学院に進学してきた立場からすると、大学はきちんと勉強をして、最終的に大学院の卒業生を出すことができれば、上々の出来であると思っている。そして、たとえ入試成績が優秀であっても、あとはその本人の進学した後の努力次第であり、その努力をし続けることでしか、本当のアカデミック・スキルが身につかないと思っている。
ゆえに、私は他人事のように感じるかもですが、基本的にある程度の学力と学問への探求心があるならば、大学に入学させて、最終的には本人にとって何らかの論文を書くことができるならば、それは立派に大学としての役割を果たしてくれれば、良いと考えている。そして大学は本人たちの努力を引き出すための環境整備して、卒業時にその本人がその意図を理解して、アカデミック・スキルおよび科学知識と技術の取得ができればいいのではないかと思う。
その本人の努力次第大学の環境整備がなければ、たとえ東京工大の女子枠の理念であるダイバーシティインクルージョン、常に大学の女性比率をある維持することも、女性が科学や技術の分野を発展及び活躍することの実現することもできないと思っている。
だから、外野があれやこれいう前に、その成果を見守るべきというのが私の基本的なスタンスである。

東京工業大学の女子枠の課題

私は、東京工業大学の女子枠は、とりあえず、本人の努力次第と大学の環境整備していく意思しだいであるから、やってみればよいという評価をしたが、それでもいくつかの課題があるため、それを整理しよう。

東京工業大学ブランドの権威

東京工業大学の女子枠ではなく、新しく工業科や理学部の女子大学を建設して、その女子大学に多くの女子学生が応募することで、倍率を増やして競争を活性化させて、その女子学生が他の工業大学へ流れることで、最終的に工業科や理学部(物理・化学)の女子学生を増やすことがベターかなと思う。
だが、それでは、大学の建設費や維持費やそこに生じる莫大な人件費などの問題がある。さらに工業科や理学部の女子大学に対してどれぐらい志望してかつその大学へ入学してくれるかが不透明である。

純粋に工学・科学技術を学ぶ気があるならば、女子枠がなくても、その東京工業大学はじめ工学系の大学に進学するはずだが、実際に東京工業大学の2022年5月1日時点で、学士課程の女子学生比率は約13%と少ない。
東京工業大学が「女子枠」を設けることは、純粋に工学に進学したいのでなく、積み重ねてきた科学技術分野の実績と社会的承認という権威と少し入学しやすさという本来ならば東京工大を想定しない進学を志望する女子学生が入学することの是非をどのように判断すべきかという課題がある。

パターナリズムの問題

また「女子枠」ということで、ある目標を達成する手段に、人々の選好を誘引することの是非についてである。
確かに、女子学生が理系や工学系の大学へ進学することを周りの大人に止められてしまい、その自己実現を疎外されてきたことはある。だが、東京工業大学の2022年5月1日時点で、学士課程の女子学生比率は約13%とあるように、工大の女子学生の入学している割合も少ないため、仮に親や教師などの周りの親に工学分野の進学を止められた女子学生が全員が東京工大にしても過半数を超える可能性は低い。
「女子枠」という枠組みは、女子学生が工学分野進学しやすい人たちにとってそれが実現しやすくなること、女子学生という仲間が増えて勉強しやすい状況をつくることを期待されている。だが、「女子枠」は工学分野を志望する女子学生だけに影響をもたらすわけではない。
理系の女子学生が、この他にも医学や看護や生物・農学・地球環境学などその他の分野に進学したいを希望する人たちが、教員の勧めもあり東京工学の「女子枠」があることを理由にそこに進学を進める可能性を否定できないし、そこに介在するパターナリズムの問題が孕んでいる。

パターナリズムは、他者に干渉する理由はそれぞれの行為を行使するための正統根拠であり、それは時にその相手を思いやっる善意や親切心が含みでいる。「女子枠」もパターナリズムの一種であり、東京工大の理念と裏腹に、「女子枠」を設けて一定程度の女子学生に東京工大へ進学してもらうとための手段である。
それはこれまで工学へ進学したくても踏み出せなかった女子学生にとっては善意あるものになっているが、制度はありとあらゆる者に影響を及ぼし、理系だけど工学に志望しない女子学生たちにもおせっかいになるかのうせいがある。
本来ならば、自己決定を促進するための「女子枠」が、逆説的にこれまで東京工学へ進学の選択肢がなかった女子学生たちにも影響を及ぼし、そこに進学させられる可能性はゼロではない。

パターナリズムの問題は難しい。パターナリズムがもたらす権威性あるいは人々を合理的に導く手段として、それが許されるべきなのか。東京工大の男子偏重の現状維持を肯定する者や権威に従い生きる者に対して私は批判的であるが、「女子枠」という手段を使い、社会の変化をしていくこと、人々を合理的に導くべきなのかについて、正直な明確な答えを示すことができない。
もしパターナリズムによって、女子学生が増えて、最終的にその女子学生が充実した学生生活や研究を送ることができれば、それがとても良いことだと思う。私は、入学した理由よりも最終的に卒業した時の満足度、そして卒業した後に学生の時に身につけた能力を発揮できることの方が大切だと思う。
同時に、パターナリズムという思想は、その良し悪しがケースバイケースでしか判断できず、その評価はとても難しいものであると感じる。

おわりに

いろんな課題はあるとは指摘したが、本人が何を学んで、社会に還元できるかという本人の努力と東京工業大学が学べる環境を充実できるかという最初の見解には変わりはない。それは、東京工大とその学生の「自己責任」であり、「女子枠」によって、女性が活躍することで科学技術の発展に寄与することを願い、この文を締めたい。