スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

自分の知識を使いコラムを通して、自分と社会を知っていくためのメモ帳です。

神居古潭の事件の判決は重いのか?

神居古潭の事件の主犯の女性の判決が下った。
求刑は検察官の求刑通り、27年であった。
一見、検察官側の求刑から減刑がなく、行為の責任が重く、減刑される要素が何もなかったため、子の求刑ではあるが、この求刑が軽いのではないのかという疑問が出てきている。
この判決は軽いのか、重たいのか?

私の立場は、求刑自体には妥当ではあるが、2点問題はある。
1つは警察官側が、被害者のpaypayを利用したことによる強盗致死の可能性があることの問題がある。強盗致傷が適用されでは、検察官側が無期懲役を求刑し、場合によっては無期懲役または30年の可能性はあったと思う。とはいえ、初めから金銭を奪う目的で強盗や暴行したわけでなく、あくまでも写真をめぐる問題が拗れたことが起因であるため、強盗適用が難しく、検察側の立証能力の限界と証拠能力が弱いことを思うと、無期求刑自体は無理に近いと言える。

もう一つの問題は内田梨瑚と地元警察と体の関係を持ったりすることで、過去の逸脱行為が処罰されなかったことで、今回の事件が初犯であることによって、罪刑があまり重くならなかったことである。
地元の警察と関係を持ち、ヤクザと関わり反社ごっこをすることで、違反行為をより抑制が効かず、気が大きくなってしまった可能性はなかったのか?本来ならば、きちんと過去の違反行為を処罰していれば、累犯であったならば、もう少し重たい求刑がありえたかもしれない。
今回の事件とは直接関係なくても、これだけ地元で好き勝手にやって、大人を性を使い牛耳って、巨悪化してしまったこの女性の責任は重いが、同時にこの女性の人間関係と環境にも問題が大きすぎる。きちんと検察が仕事していれば、重たい刑罰に処せたり、もしかしたらこのような事件が起きなかったかもしれない。
裁判の求刑自体は妥当だが、それでも27年以上になる可能性があったかもしれない。
こうした重たい求刑があった”かもしれない”集団意識と警察やヤクザとの関係を持ってやりたい放題したこの女性の巨悪性、警察官側が強盗部分の立証していればなどがあって、この求刑に対する不満の原因であるかもしれない。

参政党躍進と参議院選挙の投票率

私自身、政治に関心はありつつも、特定の政党に肩入れはしない。
どのような結果であっても、俯瞰しながらも、人々の投票した社会的意味や政治コミュニケーションはなんだろうか、そこにある社会的事実は何かに関心がある社会学徒である。

だからどの党が躍進したとしても、私にとっては社会観察の対象にすぎないのであるが、今回の参議院選挙で気になるポイントは投票率である。

投票率はどれくらいになるのか

参政党が各地に選挙区に候補者を立てて、群衆の関心を引いたり、SNSで関心を集めたりすることで選挙の台風の目になっている。
メディアの調査でも参政党の支持率は伸び、選挙区でも自民党の岩盤のところに参政党が取る可能性の記事も見かけた。
こうした選挙の中で今一番旬で勢いがある政党であるが、果たしてどれくらいの人が投票し、投票率を伸ばすことができるのだろうか。
参議院選挙前は論点が分からず、連休の中日もあって、盛り上がらない、投票率が下がるかもと言われていたが、蓋をあければ外国人問題と参政党の話題となり、参議員選挙は注目となっている。
こうした注目がある選挙で、投票率はどれくらいあがるのだろうか。
2022年の参議院選挙の時は52.05%、2019年は48.80%であり、石破政権の衆議院選挙の2024年は53.85%と5割前後で推移している。
私自身の予想は48~53%くらいとなんとなく予想している。これより低ければSNSの政治の盛り上がりは現実を反映していないのか、それとも組織票や地元票が既存の政党を見捨てているのだろうかなどの社会的意味を予想できるかもしれないし、逆に60%を超えると人々の政治コミュニケーションが活発化しているのかもしれないと考えることができる。
いずれにしろ、その当日となってどのような結果となり、報道を見ながら、人々の政治行動の社会的意味や社会的事実を考えていきたい。

参政党の躍進

参政党の躍進は危うさを覚えるが、1998年に発売された『はじめて出会う 社会学 社会学はカルチャー・スタディ』(伊藤公雄、橋本満編 有斐閣 1998年)の「新宗教」の章で、「人にいわれて」という漠然とした理由で新宗教に入信する人は珍しいことではかった。
これまで入信するための3つの動機(剝奪理論)は「貧困」、「病気」、「人間関係の争い」として説明されてきたが、戦後から当時の90年代の社会では漠然とした理由で入信する人は珍しくない。
マックス・ウェーバーは合理化が進むことで科学による客観性を捉えることができ、人々は宗教行為の意味を薄め「世俗化」すると考えられていたが、社会学者はじめ再魔術化を指摘しており、人々は宗教や神秘的なことを求めてしまう。
これは人々が理性に基づく、合理的な判断ができないことを嘆いても仕方ない。人々は不合理だと思っていたとしても、その行為をする存在であるし、それが社会の集団や社会的事実に影響を与えている。
参政党は理性的に、生理的に受け付けない人はいるだろうが、同時に人々は素朴かつ漠然とした行為もするし、宗教的な行為もしてしまう存在である。
こうした存在を私たちはいかにして普遍的な認識が可能になるのだろうか。それは今回の参議院選挙で何か、人々の社会的行為や社会的事実が明らかになることを願いたい。

無意味な日本テレビの配慮と『鉄腕!DASH!!』のリスク

6月20日日本テレビが会見を開いた。
その内容は、『ザ!鉄腕!DASH!!』に出演している国分太一コンプライアンス違反に関するものだった。
日本テレビは国分を『鉄腕!DASH!!』から降板させると発表したが、具体的なコンプライアンスの内容は個人のプライバシーを理由に伏せられた。
その後、国分が所属している『TOKIO』のグループ解散と株式会社の解散を6月25日に発表した。

無意味な日本テレビの配慮

ここからが私の雑感であるが、日本テレビの「個人のプライバシー」を配慮することで何がコンプライアンスに違反した内容を答えないのは無意味なことである。
なぜならば、週刊誌やタブロイド判が国分に関する過去の事例や今回の事案を報じているからである。日本テレビが配慮したとしても情報が何かしら出てくることで、被害者の二次被害へ繋がったり、プライバシーが明らかになるリスクを考えなかったのかと問いたい。
プライバシーを保護することとコンプライアンス違反の詳細を述べることは両立可能なことであるはずであるが、日本テレビは無意味な配慮してしまい、かえって事案を大きくしてしまった。
また真実を覆い隠す意味でも報道機関としての信頼性を損ねる行為であり、こうした表面的なコンプライアンス意識しか持っていないと視聴者とスポンサーにそう受け止められても仕方ないだろう。

鉄腕!DASH!!』のリスク

それと『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画がすべて長期に渡るものが何本も抱えている未完の企画のせいで、出演者も番組スタッフへの負担が大きく、こうした負担の大きさがハラスメントを発生させやすくなっているのではないかという疑念がある。

日本テレビは『鉄腕!DASH!!』の継続を決めたが、そりゃ未完の企画を抱えたまま終わると消化不良であるが、もし『ザ!鉄腕!DASH!!』内で何かコンプライアンス違反が生じたときに継続は難しくなる。
鉄腕!DASH!!』をソフトランディングしていく方向になるし、DASH島開発やバーガーづくりなどの終わりが見えない企画を終了させていくべきだろうか。
福祉県の米づくりによってTOKIOは県レベルでのつながりがあったり、新宿や海岸の企画で環境整備のあり方を伝えたりなど公的な性質を含む番組であったために、コンプライアンス違反によってただの一私企業のテレビ局のバラエティー番組にすぎないのに関わらず、日本テレビは大きなダメージを受けてしまった。

終わりの見えない長期企画を複数抱えることで出演者もスタッフも負担が大きく、その関係性で生じた事案が生じ、ただのバラエティー番組という性質でなく県という公の結びついている番組ゆえにテレビ局への深刻なダメージを負い、その火種はまだ残っている。
こうしたリスクの火種を抱えた『鉄腕!DASH!!』はいつまで続けることは可能だろうか...

『デュエマ vault』が消滅しただと……

カードゲームのデュエル・マスターズのデッキレシピ投稿サイトの『デュエマ vault』が消滅したというのを知った。

 

私が小学5年の時(2002年)の時にデュエル・マスターズを始め、その数年後にいつの間にか『デュエマ vault』が存在していた。

私自身大会に参加したことがなく、競技利用したことはないが、友だちとカジュアルで遊ぶ時に特定のカードのデッキレシピを参照したことがある。

 

『デュエマ vault』で面白いことは、デッキの構築しているカードの隣にあるメモ欄である。

このカードはどのような目的で投入しているのか、どういう時に使用するのかというメモ欄をみるのが面白かった。

カード1枚1枚に役割があること、それを見てどのようにゲームをしていくのかを参考にしていた。

 

デュエマは長い歴史があるが、友だち環境でどのように遊ばれていたのかという歴史を私語りが弱い。

遊戯王は初期のバニラカードや装備魔法でも「こうして遊んだ」という友だち環境の私語りは多く存在するが、デュエマはこうした私語りが弱い。

『デュエマ vault』はガチ勢は存在しえたけれど、友だち環境デッキ投稿やあるキャラクター名を冠するイメージデッキがあり、そこに競技以外の歴史のデュエマは存在していた貴重なサイトであった。

デュエマも20年以上の歴史があり、黎明期から始めた人もそれと同じくして時が経ち、デュエマから離れる人もいるし、こうしてサイトを運営が難しくなり消滅するようになったのはどこか寂しさを覚える。

 

フジの会見まだ続いているのかよ

フジの会見がまだ続いている

会見は民主制にとって重要である

新たな事実を明らかにすること、問題の原因や再発防止策や責任のあり方を追求したり、コンプライアンスや問題の対応やスポンサーへの連絡の対応など、会見は市民の知る権利を果たすためにあるのである

 

ところが会見が終わりを決めず長期化することで何の会見の目的を見失い、記者の「承認欲求」を顕示する場になっている

もちろんこの会見を設定したフジ側に落ち度はあるが、社会科学や取材技術もコミュニケーションスキルが欠けている記者側にも責任がある

記者の質が上がらない限り、会見が市民の知る権利を果たす場にはならないだろうと会見を見て思った