スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

自分の知識を使いコラムを通して、自分と社会を知っていくためのメモ帳です。

Twitter凍結祭りに関する雑感

2023年2月3日、朝Twitterを開いたら、フォローしている数が減っていた。
何事かTwitterのタイムラインを見たら、どうやら多くのアカウントが凍結されてしまったみたいだ。
理由は、外部ツールが行ってくれるの自動投稿がBot扱いになってしまった、電話番号が未登録、ハッシュタグやRTが多すぎる、同じ文字列の投稿など、これらが原因になっているみたいだ。
私はTwitterを利用しているので、いくつかのハッシュタグやRTを多くしている、自分のサブ垢で本垢のツイートをRTしていたので気をつけたい。
だが、これだけTwitterのアカウントが凍結されてしまうと、Twitterへの信頼が損ねてしまう。
実際、私もTwitterへの信頼していいのか分からない。そもそも拡散機能としての期待していないというか、ツイートの表示数を見てしまう自分のツイートに拡散する能力がないと思ってしまった。

私自身も自分のブログを見て貰うために、Twitterにリンクを載せているがリンク先のアクセスされていないし、思ったより人々がリンク先をアクセスしてもらえないことが分かり、その見てもらうための方法を考えなければいけないのかなと思っている。
もっとも、新しい先が見つからず、はてなブックマークの治安があまりよくないため、当分の間はTwitterを中心にしていくが、自分のブログのリンクを貼付けたツイートがBot認定されてしまう恐怖もあり、Twitterに過度に依存しないかつ自分のメディアを拡散する手段が欲しいとここ数ヶ月思っている。

もう一つは、Twitter社が多くのアカウントを凍結処置することによるその空間がどのように変化するのか。
もちろん、Twitter社が想定されていない使い方するアカウントを凍結することは望むような空間を作ることができるかもしれないが、何時誰がアカウントを凍結される状況、その凍結される基準がいつどのようなタイミングで行われるのか分からない状況は恐怖しかない。
こんなTwitterを利用している人達に恐怖とその対応の負担を強いることをしていれば、きちんとルールを守っていた利用者もTwitterから離れてしまうのではないかと懸念してしている。
果たしてTwitter社はこのような状況は望んでいるのか、その手段の妥当性はあるのか、私は疑問に感じる。

Twitterはどこに向かうのか、私には検討がつかない。今後のTwitterの動きを注視しながら、私はTwitterからの依存を減らしながら、新しい道を模索していきたいと考えている。Twitterがどのような空間になるのか、どのような方向を目指しているのか、その目指す方向性に設計できるのか、今後のTwitterの動きについても考えていきたいと思う。

はてなブログを書き続けた約1か月とその感想

私はここ4週間ぐらい、はてなブログで記事を更新し続けている。
きっかけは、この記事にも書いたがとある推しの方に応援されて、その頑張っている姿に感化されたからである。
私は、はてなブログは2015年10月から2016年3月にかけてやっていたが、学生を卒業してまったく書かなくなった、書けなくなった。もともと評論活動をしてみたい、学生卒業後も評論活動を通して勉強したい気持ちもあってブログを作ったが、どこか書く気力はなくなっていた。
何回か、ブログ記事にしたいことはあったが、筆が進まず、7年くらい放置していた。私の非常勤講師の書いた文献の感想をはてなに乗せたこと、某アニメを応援するために、更新したことはあるが、それも書き続けることができなかった。

そう思うと、とある推しの方にラジオで自分の辛いことをお便りして、その方に応援されたこと、その方が活発に活動している姿を見ることがなければ、私がここ4週間くらいブログを書き続けることはなかったと思うと一つの転機でした。本当に、ありがとうございました。

私の書いたもの

私の推しである、声優・Vtuberの梓来有未さんと黒井先生を中心にした紹介記事である。
もともと、アニメ大好きから生じて、ミルモでポンの非公式ファンサイトの活動を通して、私は①ファンの人と知らない人が共有・共感できる場所を作りたいこと、②公式さんに自分たちの思いを届けたいという二つの思いを持っていて、自分もそうした活動をしてみたい気持ちがあった。
これは上手く言った部分とあまりうまくいかない部分もあり、難しい所だ。ちなみに②については本人様に届いて、私も記事を書いて良かったと思う部分と、①はアクセス数が良くなく、まだまだ実力不足だなと感じています。
本当に、人に見てもらうことは難しい。もっと詳しく述べるが、検索からブログへのアクセスが少ないのである。
7年前、学部時代に書いたレポートをそのままブログ記事にしたこともあるが、その時でもアクセス数は10くらいはあったが、今は記事を書いても簡単に見てもらえないことを実感しました。

作品や声優やVtuber記事は、私の最推しである梓来有未さんと黒井先生のことしか上手く書くことができないと感じた。書いていても、もちろんその方への感謝の気持ちを込めて書いているが、表面的というか、書き手の熱量の差を感じてしまい、その難しさと自分の表現力の課題が分かりました。

もう一つは自分の学んだ知識を活かした時事問題だが、時事問題の記事を書いたが、あまり書くことができなかった。
一応書いたのが4つ
東京工業大学の女子枠に関する雑感 - スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

富良野市議会の「蛇神ちゃんドロップキックX」の内容巡り、一般会計決算を不認定になったニュースの雑感 - スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

検索に関する雑感 - スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

「オウム真理教」の解散命令請求 記録廃棄というニュースの雑感 - スグルのメモ帳(私って何―自己と社会を知りたい―)

一番書いていて、楽しかったのは邪神ちゃんの件だなと思う。
事実を抑えて、自分の価値観を使い、考え方を広げるような評論を書いていきたいと思っている。
また「オウム真理教」の解散命令請求 記録廃棄のことは、休職期間中にオウム真理教についてまとめたこと、その期間に買った憲法の教科書を使って書きた記事である。

小さな出来事を基礎的な知識を使い、物の事を評論していく活動をしていきたいと思っているが、書きたいと思える出来事がないという私のアンテナが伸びてこなかった。
同時にはてなブックマークで自分のコメント(100文字)に満足してしまい、ブログにするまでにもない事が多かった。

尾辻かな子 on Twitter: "こちらのツイートを撤回します。 殺害予告や脅迫により冷静さを欠いた投稿でした。申し訳ありませんでした。 https://t.co/MZ1WPrBPUp"

謝罪できるのを褒められるって、褒めることないの裏返しでは? ジェンダーにしろ、フェミニズムにしろ、焦りを感じて空回りしていますよね。真面目に政治経済の中で勝負すればいいのに、知識がないからできない。

2022/12/02 16:28

このことについては、これ書くことことないし、誰かを強く批判して記事をのばすことしたくないですね。
ちなみに、私はアンチフェミニズムではない。ブックブックマークやTwitterフェミニストフェミニズムの批判することはあっても、女性の人権向上や男女平等などは大切な社会課題だと思っている。
フェミニズムに批判的ななのは目的でなくその手段であり、多くの人との妥協しながら共通認識をつくりながら合意を作りながら社会を変えていいかなければならないのに、その手間を省いていることに批判的にコメントすることが多い。

三ツ矢雄二「“声優は裏方”という根本に使う側が戻ってもらいたい」 相次ぐ声優の体調不良、業界を変えるには“ブームの終息”が必要?(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

日本のタレント自体がマルチに活躍して、それを自己表現しているので、難しいのでは。あとはBIによる生活の保障化もしくは35〜40時間以内の活動していくように管理するかなど考えられるが難しいか。

2022/11/30 16:37

このコメントに関しては、アニメや声優の業界および労働法のきちんと体系とした知識がないことや制度や政策に言及できる知識がないため、ブックマークのコメント以上のことしか言えないので、深堀出来ないのですよね。
評論記事は事実を踏まえて、少し基礎知識をプラスした評論を心掛けたいと思うので、自分の曖昧で自信のないものへの言及は避けたいと思い、ブログ記事にすることができないため、評論活動する上での難しさと実力不足を感じる。

いずれにしろ、私自身の時事への探し方と感心が薄く、今週は1本書きたかったが、はてなブックマークのコメントで満足してしまい、ブログ記事化することができませんでした。今後、週一本をめどに記事を書いていきたいという目標にして頑張りたいですね。

はてなの長所

はてなを利用してよいと思ったところは編集のしやすさ、リンクの貼り付けの種類が選べて簡単、文字の色や大きさやアンダーラインを追加できる部分である。
それは歌ってみた動画の記事だったのですが別メディアで転載した時、そこはリンクの貼り方が少しめんどくさく、文字の色や大きさやアンダーラインを使えず、不便を感じました。*1
日常使いするならば、そして歌ってみたや作品感想で細かい表現をこだわりたいならば、はてなブログはとても優秀なブログサイトであると認識しました。

自分の課題

私のブログを更新していて感じたことは、購読者数が増えなかった。書いているカテゴリーが分かりづらい雑記ブログ戦術が悪いの第一の理由である。
だが、思ったより、アクセス数が伸びず、購読者数も伸びなかったのも実感として感じる。*2お題記事も日常系記事はあまり、得意ではないため、はてな向けに記事を書けていないのも自分の課題である。
Twitterから人は入るがその次の日にアクセスされない、検索サイトからブログへのアクセス数はほとんどない。
改めて、人に見てもらうことの難しさと人に見てもらうための文章力向上の自己研鑽が必要だと感じました。

最後に

これで毎日更新をやめて、土日に記事を2~3本を上げられるように、そして文章の質を向上させて、多くの方に見てもらう努力をしていきたいです。
私が学生時代はてなブログを読んでいた、Rootport先生のように面白いことをかけて、少しは文章によって収入を得ることが夢だった。
それでも、夢を追うしかない。/2016年の挨拶とブログ書籍化のお知らせ - デマこい!

社会人になって書く気力がなかったが、今は昔見たい以上に書きたい気力と勉強した積み重ねてきた知識を持っている。
Rootport先生や評論家の宮崎哲弥さんのように、文章で仕事に辿り着くには狭き道であるかもしれない。だが幸いにして、私は文章書くことや勉強ことの時間を確保できるので、私の2023年の目標はもう少し評論活動を通して、読んでもらえるブログを目指したいです。
自分の興味関心の守備範囲を広げること、もっと勉強して知識を身につけること、この4週間くらいの経験を活かしてもっとはてブロライフを楽しみたいです。

*1:その媒体では、太文字と""(ダブルコーテーション)を使い、ごまかしました。

*2:2022年12月3日の時点で読者数98人だが、ここ1か月の読者登録されたのは9名だけである。

「オウム真理教」の解散命令請求 記録廃棄というニュースの雑感

NHKニュースと弁護士ドットコムによると、「オウム真理教」と「明覚寺」の解散命令請求に関係する資料の記録がすべて廃棄された。。行政機関が裁判所の要請を受けて、「法令に反し、著しく公共の福祉に反する」という理由で、宗教法人に解散命令を出した事例は、「オウム真理」と和歌山県に本部があり教団幹部が起こした詐欺事件で有罪となった「明覚寺」の2件である。2件の裁判の記録は東京地方裁判所和歌山地方裁判所で保存されていたが、これらの資料が破棄されていたことが分かった。

www3.nhk.or.jp

www.bengo4.com

オウム真理教」の解散命令の概要とその課題

まずはオウム真理教について。
オウム真理教麻原彰晃が教祖・創始者として、1987年に結成した団体である。団体は様々の事件を起こす。オウム真理教は「ヴァジラヤーナ」の教えによって他者の命を奪うことを正当化する言説とする。目的を果たすために他者の命を奪うことすら手段として行われた。公安調査長官は1996年7月11日、破壊活動防止法に基づき、公安審査委員会にオウム本団体の解散指定処分請求を行ったが、公安審査委員会は、1997年1月31日、「下時期に、今後ある程度近接した時期に、継続または反覆して暴力主義的破壊活動に及ぶ明らかなおそれがあると認められるに足りるだけの十分な理由があると認められることはできない」という理由に棄却された。
団体は、同決定を契機に拠点施設の再建・拡充や新規構成員獲得に向けた活動を活性化させ、パソコン販売、出版等の事業で得た潤沢な資金を背景に、拠点施設を次々に確保した。これにより地域住民との対立が生じる。1999年12月に「無差別大量殺人を行った団体の規則に関する法律」(団体規則法)が成立した。
これを受けて、公安調査庁長官は、団体規制法に基づき、オウム真理教の本団体に観察処分の請求を行う。2000年1月28日、公安審査員会員会は、オウム真理教に対して観察処分の適用を決定し、2月には破産に伴いオウム真理教という名称が消滅する。
幹部も逮捕されて、2018年には麻原はじめ元教団幹部ら13名を死刑が執行される。
だが、創始者がいなくなっても、「Aleph」の名称を用いた集団、「Aleph」から距離を置く団体、上祐氏が率いる「ひかりの輪」が活動し、現在でも麻原の意思に従いながら活動を行っている。

ジャーナリストの江川紹子は、今回の「オウム真理教」の解散命令請求の記録破棄について批判をこのように批判している。

統一教会の解散命令について考える時、(刑法違反でなければ不可能との見解で)当初の政府見解を縛っていたのは、この判例です。裁判記録には、所管する東京都、また地検がどんなことを主張したかがあったはずで、判断に至る経緯を知る重要な歴史的資料でした」

(中略)

「加害者の刑事記録や破産など被害者関連の事件について働きかけを続けていたが、解散の記録は残せなかった。次の世代に送れなかった、申し訳ないという気持ちです。裁判所は記録を実務の資料と思っていて、史料だという感覚が希薄です。基本を『捨てる』から『残す』にして、捨てる場合にチェックが入るような仕組みを求めます」

引用:統一教会問題で注目される「オウム解散命令」の裁判記録が廃棄 学生の調査報告が話題 - 弁護士ドットコム

今回の「オウム真理教」の解散命令請求 記録廃棄は統一教会の宗教法人を脱法人化や解散請求などの議論をする上で、重要なケーススタディであるが、その議論の積み重ねの検証や参照することができないのは、大きな損失である。

この宗教自由をめぐり、オウム真理教解散命令の時ですら、それが狙い打ち規制ではないかという問題があった。
オウム真理教の起こした事件やその過程や準備を理由に、当該宗教法人を解散させることは宗教法人の信者の信教の自由を侵害するのではないかといいう憲法(思想・良心の自由および信教の自由)の問題点がある。

最高裁の判旨の考えは、解散命令は宗教法人の世俗的側面的側面を対象に、信者が新たな宗教団体の創設や宗教上の行為を禁止することはできず*1、あくまでも宗教法人に帰属する財産を用いて行う宗教上の行為ができなくなるだけである。あくまでも信者者に対しては精神的・宗教的側面に対しては間接的な支障にとどまっている。(安西文雄『第7章 思想・良心の自由および宗教の自由』『憲法読本』(p125) 有斐閣

憲法上、オウム真理教の本団体を解散請求は、①規則目的が宗教団体や信者の精神的・宗教側面に容かいする意図によるものでないこと、②法人格を失わせるという規則の必要性・有効性、③宗教団体や信者の宗教上の行為に対する支障が間接的で事実上のものであること、④手続きの適正も担保されていること、を根拠に、合憲判断が下されている。(安西文雄『第7章 思想・良心の自由および宗教の自由』『憲法読本』(p125~126) 有斐閣

まとめ

昨今話題になっている、統一教会の件も、法人格をはく奪することはあくまでも団体の共有財産を用いて宗教活動をできなくするだけに過ぎない。だが、宗教法人のはく奪は、信仰の自由と結びつき、国家の恣意性による決定ではなく、公的な理由を必要とする。

あれだけ大きな事件を起こしたオウム真理教団体の解散請求の時ですら、その解散させるために憲法に反していないか、その規則目的が、宗教団体や信者の宗教上の自由を阻害していないか、信者が新しく宗教団体を作ることや信仰することを阻害していないか、その手続きが担保、合憲的なものであることなど多様な要素を検討した結果、オウム真理教という名称の団体を解散することができた。

そのオウム真理教の解散命令請求を前例にしつつ、その法的根拠や論点の積み重ねを通じて、統一教会の解散命令請求が妥当であるか否かについて真剣に議論しなければならない。だが、オウム真理教のケースの記録が破棄されたことは、前例にしつつその法的根拠や論点の積み重ねが断絶されたことを意味して、事例が積みあがらない上に、後世の人たちが検証して、当時の判断が妥当であったかを検証できなくなったのは残念といえる。


参考文献
オウム真理教 - Wikipedia
オウム真理教の危険性 警視庁
反社会的な本質に変化のないオウム真理教(警察庁)
オウム真理教の変遷や組織概要 | 公安調査庁
オウム真理教が引き起こした凶悪事件と被害者の手記 | 公安調査庁
安西文雄『第7章 思想・良心の自由および宗教の自由』『憲法読本』 有斐閣 2015年

*1:事実、上祐氏が率いる「ひかりの輪」が活動し、現在でも麻原の意思に従いながら活動を行っているように、信者の新しい宗教団体を創設すること、信仰の自由をとめることはできてない

検索に関する雑感

「学生指導していると検索能力が低いことに驚く」というのがtogetterで流れてきた
togetter.com


それに対して、私はこのようにコメントした。

学生指導をしていると検索能力が低いことに驚く…学生に限らず起こっているが一体何が原因なのか - Togetter

検索の仕方という問題はあるが、検索しても良い情報が出てこないし、またその記事の書き手の減少もあって、自分が知りたいことを知ることができないという問題もあり、学習側と検索エンジンの問題両方あるのかな?

2022/11/24 23:04

なぜこういうコメントを書いたのかの、その理由と自分の備忘録として記事にしてみた。

私が検索しなくなった理由

十数年前、高校時代および大学時代(大学院時代)にYahoo検索を検索して、様々なものに出会うことができた。
その当時はアニメや漫画の個人ファンサイト全盛期、自らのイラストをファンサイトに掲載したり、交流掲示板でファン同士の交流が行われていた。
また作品の解釈や考察を読むためや時事評論やコラムを読むために、検索して、記事を読んだ。その中に、はてなダイヤリー(現:はてなブログ)で書いている人たちを見つけて、当時はてなサービスをやっていない私*1は、はてなダイヤリーをお気に入りにして、記事を更新をされるのが楽しみだった。
2015年にブログを書いていた時は、Twitterをやっておらず、主にグーグル検索からこのブログの記事*2を読んでもらうのが主流だった。
「ぐぐれかす」というネットスラングがあったように、人に聞く前にGoogleで検索しろと言われるくらい、検索する行為は当たり前になっていた。

とことが、「学生指導していると検索能力が低いことに驚く」というのがtogetterの事例のように、検索から見つけることができない人も増えたみたいだ。
私も2020年代以降、思い出していても、検索エンジンを使わなくなった。検索しても、自分が期待する情報が出てこなくなったというのが感想だ。

派遣会社の評判を調べても、サイトを複数見ても、同じようのことしか書いていないのが多く、検索することが嫌になった。
「作品 感想」と検索しても、個性的なブログ記事が検索上位にくることが少ないため、最近は検索することが少なくなった。
書き手が減少していき、量産型の記事を掲載するサイトが増えた結果として、情報の量は増えたが、質が良化したとは言えない。また、検索エンジンもまたサイトの質を必ずしも判別できるわけではないので、なんとなくアクセスが上位のサイトが検索の上位にくるため、そのサイトが必ずしも自分の欲する情報や好む情報を見つかるとは限らない。
この書き手の減少および質の低下*3もあって、検索する気力が無くなってしまった。

主に、アニメ公式サイトのTwitterをフォローやリストを登録したり、通知したりなどすることしも必ずしも検索する必要性がなくなっている。
情報はアプリで収集したり、YouTubeで動画を見たりすることで集めることができるので、主体的に検索でキーワードを入れて、欲しい情報を探すことをしなくなった結果、検索能力も落ちている。

つまり、書き手の減少と質の低下による検索する気力を失い、検索エンジン側はも必ずしも質の良い情報が上位になるとは限らないため、検索能力は落ちるし、検索しなくなるよねというのが、僕がはてなブックマークに書いた理由である。

もちろん、自ら主体的に行為することは大事なことである。キーワードを組み合わせて、自分にとって必要な情報を見つけることは、学術する上でも、評論を書く時でも、自分の知らないことを知って確認することなどで検索能力は必要不可欠な能力である。やっぱり自分の生活といかに検索能力を結び付けることの重要性を感じる。
同時に、検索エンジンも精度を上げてほしいし、サイトの質も記事も質を上げてほしいという願いを込めて、終わりたい。

*1:はてなでブログを始めたのが2015年の10月あたり

*2:現在は削除済み

*3:人のことは言えず、私自身も力不測の書き手だが

東京工業大学の女子枠に関する雑感

2022年11月10日、東京大工業大学2024は年4月入学の学士家庭入試から総合型・学校推薦選伐において女性を対象にした「女子枠」を導入するニュースが流れた。

www.titech.ac.jp

東京工業大学の女子枠導入する理由は、(1)ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)の取り組みの一環として、(2)学院で女子学生比率を増やしてOECD諸国の中で日本の高等教育機関における女子学生の割合が最低に位置する現状を変えるために、(3)理工系分野における女性研究者・技術者を増して活躍することが科学技術の発展に寄与するためである。

私の東京工業大学の女子枠への評価

私は、東京工業大学の女子枠はやってみればいいという立場である。
自分が底辺高校で偏差値も特別高くなく、推薦入試で大学に進学して、大学院に進学してきた立場からすると、大学はきちんと勉強をして、最終的に大学院の卒業生を出すことができれば、上々の出来であると思っている。そして、たとえ入試成績が優秀であっても、あとはその本人の進学した後の努力次第であり、その努力をし続けることでしか、本当のアカデミック・スキルが身につかないと思っている。
ゆえに、私は他人事のように感じるかもですが、基本的にある程度の学力と学問への探求心があるならば、大学に入学させて、最終的には本人にとって何らかの論文を書くことができるならば、それは立派に大学としての役割を果たしてくれれば、良いと考えている。そして大学は本人たちの努力を引き出すための環境整備して、卒業時にその本人がその意図を理解して、アカデミック・スキルおよび科学知識と技術の取得ができればいいのではないかと思う。
その本人の努力次第大学の環境整備がなければ、たとえ東京工大の女子枠の理念であるダイバーシティインクルージョン、常に大学の女性比率をある維持することも、女性が科学や技術の分野を発展及び活躍することの実現することもできないと思っている。
だから、外野があれやこれいう前に、その成果を見守るべきというのが私の基本的なスタンスである。

東京工業大学の女子枠の課題

私は、東京工業大学の女子枠は、とりあえず、本人の努力次第と大学の環境整備していく意思しだいであるから、やってみればよいという評価をしたが、それでもいくつかの課題があるため、それを整理しよう。

東京工業大学ブランドの権威

東京工業大学の女子枠ではなく、新しく工業科や理学部の女子大学を建設して、その女子大学に多くの女子学生が応募することで、倍率を増やして競争を活性化させて、その女子学生が他の工業大学へ流れることで、最終的に工業科や理学部(物理・化学)の女子学生を増やすことがベターかなと思う。
だが、それでは、大学の建設費や維持費やそこに生じる莫大な人件費などの問題がある。さらに工業科や理学部の女子大学に対してどれぐらい志望してかつその大学へ入学してくれるかが不透明である。

純粋に工学・科学技術を学ぶ気があるならば、女子枠がなくても、その東京工業大学はじめ工学系の大学に進学するはずだが、実際に東京工業大学の2022年5月1日時点で、学士課程の女子学生比率は約13%と少ない。
東京工業大学が「女子枠」を設けることは、純粋に工学に進学したいのでなく、積み重ねてきた科学技術分野の実績と社会的承認という権威と少し入学しやすさという本来ならば東京工大を想定しない進学を志望する女子学生が入学することの是非をどのように判断すべきかという課題がある。

パターナリズムの問題

また「女子枠」ということで、ある目標を達成する手段に、人々の選好を誘引することの是非についてである。
確かに、女子学生が理系や工学系の大学へ進学することを周りの大人に止められてしまい、その自己実現を疎外されてきたことはある。だが、東京工業大学の2022年5月1日時点で、学士課程の女子学生比率は約13%とあるように、工大の女子学生の入学している割合も少ないため、仮に親や教師などの周りの親に工学分野の進学を止められた女子学生が全員が東京工大にしても過半数を超える可能性は低い。
「女子枠」という枠組みは、女子学生が工学分野進学しやすい人たちにとってそれが実現しやすくなること、女子学生という仲間が増えて勉強しやすい状況をつくることを期待されている。だが、「女子枠」は工学分野を志望する女子学生だけに影響をもたらすわけではない。
理系の女子学生が、この他にも医学や看護や生物・農学・地球環境学などその他の分野に進学したいを希望する人たちが、教員の勧めもあり東京工学の「女子枠」があることを理由にそこに進学を進める可能性を否定できないし、そこに介在するパターナリズムの問題が孕んでいる。

パターナリズムは、他者に干渉する理由はそれぞれの行為を行使するための正統根拠であり、それは時にその相手を思いやっる善意や親切心が含みでいる。「女子枠」もパターナリズムの一種であり、東京工大の理念と裏腹に、「女子枠」を設けて一定程度の女子学生に東京工大へ進学してもらうとための手段である。
それはこれまで工学へ進学したくても踏み出せなかった女子学生にとっては善意あるものになっているが、制度はありとあらゆる者に影響を及ぼし、理系だけど工学に志望しない女子学生たちにもおせっかいになるかのうせいがある。
本来ならば、自己決定を促進するための「女子枠」が、逆説的にこれまで東京工学へ進学の選択肢がなかった女子学生たちにも影響を及ぼし、そこに進学させられる可能性はゼロではない。

パターナリズムの問題は難しい。パターナリズムがもたらす権威性あるいは人々を合理的に導く手段として、それが許されるべきなのか。東京工大の男子偏重の現状維持を肯定する者や権威に従い生きる者に対して私は批判的であるが、「女子枠」という手段を使い、社会の変化をしていくこと、人々を合理的に導くべきなのかについて、正直な明確な答えを示すことができない。
もしパターナリズムによって、女子学生が増えて、最終的にその女子学生が充実した学生生活や研究を送ることができれば、それがとても良いことだと思う。私は、入学した理由よりも最終的に卒業した時の満足度、そして卒業した後に学生の時に身につけた能力を発揮できることの方が大切だと思う。
同時に、パターナリズムという思想は、その良し悪しがケースバイケースでしか判断できず、その評価はとても難しいものであると感じる。

おわりに

いろんな課題はあるとは指摘したが、本人が何を学んで、社会に還元できるかという本人の努力と東京工業大学が学べる環境を充実できるかという最初の見解には変わりはない。それは、東京工大とその学生の「自己責任」であり、「女子枠」によって、女性が活躍することで科学技術の発展に寄与することを願い、この文を締めたい。